塩風呂具

オフロードバイクがメインです。

ボクサー

NHKのマークってタマゴ三個をモチーフにしてるって事を最近知った「黄色F改」です。



言われても見ればってかんじでしょ?


よくワカラン人は「NHK」を検索だ!




さて、26~27日に大阪へ行ってきました。

27日は叔父さんの四十九日。


そのまえの26日に前日入りし、嫁にゃんの通うダンス教室の「ユミスタジオ」へ







初めてお会いする先生はとても気さくな方で、昔からの知り合いのような感覚にさせてくれる方だった。


シュウを片手にダンスを踊る。

しかも嫁にゃんの踏むステップはドスドスと床を鳴らすのに、先生の足元からは何の音もしないのです。


さすがプロです。


しかし、その教室もあと一ヶ月でおしまいなのです。

10月一杯で教室を閉めちゃうらしく、嫁にゃんのストレスを発散する場所がまた1つ減ってしまいます。


そして教室の床にひかれている黒いゴムのマットを我が家で預かることになりました。


また来月に大阪入りです。






その後、嫁にゃんのお友達のお宅におじゃましました。

天満なのか?

まぁ、そのあたりのマンションのえらい標高の高いところに住んでおられました。


眼下にはココより高いのは山くらいかと思わせるところで、夏の花火大会が上空ではなく目線より下に見える所らしい。


しかし、こういうところに来ると下のほうの階で火事になったらどうするんだろうって考えちゃう。。。



田舎モンはしょうもない事しか想像ができないのが悲しい。。。



そして、今日のネタで一番言いたかった話が








「ボクサー」だ。





と言う劇団が上演してくれた。

実は8月の末に中野π子殿が泊まりに来たときにチケットを置いていってくれていたのだ。


黄色のカブの子ね。


この「ボクサー」ってのは日本に住む朝鮮人(韓国人)のお話です。


どんな話だったかってぇと、あまりに大きな世界観なのでザクッとしか説明できないが、、、



戦前の朝鮮半島で生まれたキョンジョン(兄)とソンジョン(弟)

別々に暮らしていたソンジョンは兄のキョンジョンの事を全く覚えていなかった。

なぜ別に暮らしていたのかは覚えてないけどね。おほほ。。。

そして小学生になったソンジョンは家族と日本にやってきて兄のキョンジョンと再会する。

キョンジョンは足も速くてケンカも強い。そんな兄を慕っていつもキョンジョンのあとについて回っていた。

そんな毎日を送る兄弟に妹(弟ではないか?との話も。。。)が産まれ、貧しいけどささやかな幸せが訪れる。

が、世の中は戦争を始め徐々に影が忍び寄る。

生きるために闇米を仕入れては売り歩き、また仕入れては売る。

仲間がどこかから仕入れた米を走る列車から投げられ、それを落とさないようにキャッチするのが子供たちの仕事で、一瞬の隙をついて受け取り藪の中へ逃げ込む。

走る列車から投げられた米を受け取るのに失敗すると、足元の川に落としてしまう。


だから、信用できる者にしか受け取らせない。


いつものように受け取りに猛烈に走る列車のすぐ脇まで駆け寄った。

仲間たちは見事な連携で米を受け取り藪の中へ消えてゆく。


そして今回もキョンジョンの後についてきたソンジョンも受け取りたいと言って聞かない。

キョンジョンはそこまで言うのならとソンジョンに受け取らせたら見事に失敗。


大切な米は川の中に沈んでいった。。。


そのことで泣くソンジョンを「男やったら泣くんやない」とキョンジョンは怒らずに慰めた。







僕はこのシーンも妙に鮮明に覚えている。

でも、「男やったら泣くんやない」ではなくもっと長い言葉だったように思う。でも意味合いはこんな感じだ。







戦争はいよいよ本土決戦かと思われた。

大阪にもB29が飛来し爆弾を落としてゆく。

足の速いキョンジョンに妹(弟?)をおんぶさせて爆弾から逃げさせた。

その後をソンジョンが走る。


そして、もうココまで来れば安全だろうと思った場所で一休みしていたが、所詮は子供の足では空襲されている地域から逃げ出せるハズもなく、近くに爆弾が落ちて瓦礫に覆われてしまった。


とっさに背負っていた妹(弟)をかばい抱きしめて守ったキョンジョン。


しかし、胸の中で小さな命もろとも爆風は連れ去っていってしまった。



日本は戦争に負けてドン底の世界に落ちていったが、彼ら日本に残った朝鮮民族はその底辺にいたと表現しているように僕は思った。


みんな生きるためになんでもやった時代であったのだろう。

キョンジョン、ソンジョンの兄弟に新たに妹が2人生まれ、父のヒョントウが出稼ぎから戻ってきたときに、なぜかもう一人弟スジョンを連れて帰って来た。

これで7人家族になった。




なんか、あらすじじゃないね。

思いっきりストーリーを書いてるなぁ。。。




朝鮮戦争が勃発。


その頃になると彼ら兄弟も多感な青年となり、世の中の事を学び吸収していった。


兄はボクシングのジムに通い、ソンジョンは相変わらず後ろをついて歩いていた。

ソンジョンは兄からチャップリンの映画を朝から晩まで全部見て、意味が理解できるまで毎日見に行けといわれお金を手渡された。


渋々チャップリンの映画を見にいった映画館で笹木(日本人)と言う東京からきた青年と出会う。


笹木とはいつも行動を共にしていたようだ。


朝鮮戦争も一旦休戦し、帰国事業が始まった。


祖国朝鮮に帰ることができる。しかも急速に戦争から復興してるらしく経済発展が目まぐるしいと。


その帰国事業にキョンジョンたち家族は応募したが、審査に通ったのは兄のキョンジョンのみだった。


帰国船に乗るまえにみんなで送別会が行われたりして送り出された。


それがソンジョンの23歳のときだったはずと記憶するのだが。。。












さ、なんか浜村順ばりの説明だったな。


言い出したらきりがないです。


でもココからが波乱に満ちた人生の始まりであり、大きな局面に現れる少年時代のキョンジョンに何度も励まされ生きてゆくソンジョン。


その時の時勢に呑まれて葛藤する姿などを迫真の演技でその世界に僕をのめりこませたのです。


休憩を含む2時間40分もの演劇にしちゃずいぶん長い時間でも、あっと言う間に終わってしまったのです。



嫁も言ってたけど、演劇を見て初めて涙が出ました。








僕の父上が亡くなってから8年。



ソンジョンの母が亡くなった時に思い出したのが、あの闇米を受け取り損ねて川に落として泣いていた時に「男やったら泣くんやない」と慰められたときのシーンだった。



僕の父上が亡くなる2週間ほど前に

「もう目をつぶると次は覚めることはないと思うねん」
「でな、ワシの葬式のときに人前で泣いたらあかんで」
「ワシはそんなんアカンねん」
「ワシのオカンの時でも泣かんかったからお前も人前で泣いたらアカンで」


まぁ、じゃっかん内容は違うけど、こんな感じの会話を最後に息を引き取った。


そのときの事を思い出してしまった。


自分にかぶる所があるのでここのシーンはとても印象に強く残っている。






「ボクサー」のこの先の話を知りたいと思う人はいると思うけど、もう上演してないのです。


DVDとか出るのかな?


とても沢山の走るシーンがでてきます。

うまく表現した世界観に皆さんも吸い込まれてほしいと思った演劇でした。





ええもん見させていただきました。









で、今夜は嫁にゃンの実家でお泊りなのだが、晩御飯をどっかで食べてきてって言うから立ち食い焼き肉屋でハツとテっちゃんを頂きました。

となりで一人で食ってたおっちゃんが「ほなもんビールと一緒に食わなうまないやろ」と勝手にビールを注文しやがった。


で、グラスに注がれてグビッと飲んだ。


「な、やっぱうまいやろ?そんなんテッちゃんになんもなしはおかしいわ」


だってさ。



あのね、僕はお酒を好まない人なのですよ。


もちろん旨いわけないですやん。。。



納得がいかんがまぁ、おごりだったので文句も言わずにその場を後にしたが、なんかむしゃくやするので









癒しのラーメン。


「神座」(かむくら)のラーメンをお口直しに食いました。


ビールとラーメンでお腹パンパン。









食後のデザートにたこ焼き食って夜の11時半に帰宅です。


ほろ酔いでしかももうすぐ午前様。。。



嫁の実家なんやからちょっとは遠慮せぇっちゅ~話でして。。。



えへへ。。。





いやぁ、今日はええモン見れてええモン食えて満足満足!



な、9月26日の土曜日のお話でした。











訂正 じゃっかんではあるが内容をちょっと変えました。弟と妹を間違えて表記していたようです。
ごめんちゃい。。。