一人だとついつい食べ過ぎてしまう「黄色F改」です。
食べ過ぎてキモイです。。。
何を食べたか言うと後で嫁チェック後に叱られるので秘匿します。
って、こんな書き方すると本当にガミガミしてるように思えますがそんなこと無いんですよ。
普段からとってもやさしいんですよ。
料理もうまいし、僕が散らかしても文句も言わずに片付けてくれるし、お弁当だってちゃんと早起きして作ってくれるしさ。
あ、そうそう、そろそろ新しいヘルメットがほしいなぁ。。。
実家に帰っている嫁にゃんから連絡があった。
シュウがはじめて寝返りをしたそうだ。
その初めての姿を撮影するために新しく買ったビデオカメラだったが撮っていないそうだ。
父は悲しい。。。
敦賀連隊跡です。
ここは日清戦争の後に陸軍の19連隊、昭和には119連隊が置かれ、当時はその近くに旅館や食堂などが立ち並んでいたそうです。
この日はあいにくの雨で、山間部は雪になってました。
やたら寒いミゾレ交じりの中、石碑に書かれた文字をガタガタ震えながら読み当時の事をまたも勝手に想像していました。
近くには練兵場もあるようだ。
現在では住宅地になっている。ここ連隊跡地も団地になっていて当時の面影が一部残されていいる。
この丸い筒が歩哨詰所です。
詰め所とは言わんかな?
うまい表現が浮かばないが、要は門番のいたところ。
冬は雪が今よりももっと降ったと思われる。
イヤだねぇ。。。
しかし、現地に向かうもこの支援部隊にすら補給は無く、しかも転進支援とは他部隊が転進するのにわが身を持って盾となるのです。
武器と言っても敵の戦車には無力で、食料も尽き栄養失調による体力の低下とマラリアで次々と病死または餓死していく。
この119連隊の連隊長が戦車に対し単身突撃し戦死されました。
偉いさんが戦死するとその部下たちに命令する人がおらんわけです。
ちなみに連隊長クラスが戦死したら一旦退却し再編されるんです。
でもね、後方に下がれば補給も受けることが出来るはずです。
連隊長の自らの命を絶ってでも部下の命を守る。。。
64年前にこの桜の木に見送られ戦地に赴いたのだと思うと、思わず目頭が熱くなった。
3200名のうち生きて日本の土を踏めたのは657名。
遥かなる南方の地で散った御霊は無事に戻って来れたのだろうか。。。
後味悪い終わり方やったなぁ。。。