塩風呂具

オフロードバイクがメインです。

ポーランド ビルケナウ

もしかして酢の呪縛から解き放たれつつあるかもしれない「黄色F改」です。



バルサミコ酢のドレッシングがたまらんです。


僕のハートに火をつけっぱなしデす。



その事をホテルの人に話したら、ピクルスの空き瓶にいっぱい入れてくれました。


そこまでいらないんだけど。。。。



ただ、米と酢が混ざる感じはダメですけど。


そこは味じゃないんです。


その組み合わせが嫌なんです。






そんな好き嫌いを言えなかったあの時代。





次はここ。「ビ」です。

アウシュビッツは「ア」です。





アウシュビッツが手狭になったのか、巨大な「ビルケナウ収容所」を近くに作ったのです。

鉄道で直接中まで乗り込んでこれます。













ここの建造および整備は囚人の仕事のようです。


ドイツ兵がわざわざ作りません。


指示のみだったのでしょう。


当時から現在に至るまで鉄条網は健在です。








宿舎?の中には穴がいっぱい開いた溝らしきものがありました。


あとで解ったのですが、この中に熱気を通して暖房にしていたようです。


オンドルやオイルヒーターみたいに空気を暖める感じだったんですね。


アウシュビッツは各部屋にパイプが通っていたので、オイルヒーターだったと思われます。










当時はこんな感じ。

床にはワラが敷かれています。

ベットの数が足りなかったのか、床で寝る人用だったのかもしれません。








多少朽ちていますが、現在ではワラは綺麗に掃除されています。









更なる鉄条網の向こうにはレンガの塔が沢山並んでいました。


最初はなんだかわからなかったのですが、各宿舎の煙突部分のみが残った物でした。


最後に火を放って逃走したのでしょうか?


それとも自然に朽ちてしまったのでしょうか???











どこまでも続く鉄条網に歩いて向こうまで行くのが嫌になる距離です。


そして、どこまでもいつまでも宿舎が続いています。









途中の門から見渡してもどこまでも続いているんです。


ここに所狭しと人がいたなんて想像ができません。


管理しきれていたのでしょうか???









そこには貨車が1台だけ置かれています。


輸送中に逃げないように監視小屋が真ん中に付いています。







その貨車の監視小屋から撮影したものと思います。


整列してる人々。


腰に手を当て、何かを指示しています。


向かって左の人々は歩いて収容所の奥へ。

右側の方は左側の人たちを最終処理するために一旦残します。


右側の人が消耗すれば次の便で補充するんですね。



消耗するのかされるのかはわかりません。










待遇は少し良いようです。


暗くて解りにくいですが、さっきの所よりいい感じに作られているように感じました。