塩風呂具

オフロードバイクがメインです。

ビルケナウ的な。。。

航空機に積み込む手荷物の重さが危険な「黄色F改」です。



エコノミーで来てるので20キロまで。


アジアなら少しくらい目をつぶってくれるのですが、こちらは厳格なようです。


重量オーバーで900€払ったとか。。。


1キロ30€なので30キロオーバー。。。


イヤイヤ。。。




僕の荷物は日本を出る時に22キロ。


2キロ分を大目に見てもらいましたが


「帰りは絶対ダメっていわれますから」って。。。



言われても。。。。


仕事で使う道具だけでも10キロあるんですが。。。


でケースが5キロ。。。


服などで7キロもあったのか???



2キロダイエットかぁ。。。。


難しい。。。。















機関車から降りた人たちはそのまま真っ直ぐ奥へと進みます。


500mくらいあるかもしれません。








ココから地下に降りたんでしょう。


もしかしたらここは裏口かも知れませんが。。。











ドイツがココを放棄する時に爆破していったそうで、当時そのままの状態で保存されています。


深さは2mくらいでしょうか。


天井が落ちて浅く感じますが、構造物なども埋まってるはずなので、かなりの深さがあったはずです。


ここはガス室と焼却場の跡。


着いたばかりの人々は、すぐに処理されてしまったみたいです。



焼かれた灰は肥料となったそうです。















列車の右側にいた人はこの先の建物に向かいます。



なにがなんだか解らずに言われるがまま向かった先はシャワーの建屋です。







服を脱いだり、荷物を渡したり。。。


何人もの人々が裸足で歩いたためか、床はツルツルになっています。


さらに全員丸坊主に髪を切られたそうです。








そしてこのシャワー室で汗を流してサッパリするとみんなと同じシマシマの服を着て完成です。








渡した荷物の中に、すでに持ち主のいない写真が無数に展示してありました。


みんな、思い出の写真でしょう。


どれもこれも幸せそうな家族との写真ばかりです。



もう、どれもこれも見続けてると、だんだん目の焦点が合わなくなってきます。


この写真をみて思い出したのが、この建物を出て


「私の家族にはいつ会えるの?」と前からいると思しき人に聞いたら、

「今頃もうあの煙になっているよ」と、さっきの焼却場の煙突を指差されたと、テレビで言ってたのを思い出した。


生き残った人々がシャワーを浴びているうちにガスで処理され燃やされていたのです。。。



今では考えられない事が当時ココで実際に起こっていたんです。










またガス室は4箇所あり、アウシュビッツよりも大きく合理的に「処理」できるようになっていたみたいです。


写真で煙突2本って事は4~6台の焼き釜があったと思われます。


そこに1つの釜に2~3体入れて焼く訳です。


最初の破壊された所だといったいどのくらいの能力があったんだろう。。。









ココのガス室は全て破壊されているので、基礎と看板を見て当時の面影を創造するだけです。



ちなみに、向こうに森が見えるのですが、その奥に池があってそこに灰を捨てたそうです。


毎日やってくるユダヤ人を毎日24時間体制で焼き続ければ、灰の出る量も膨大です。


肥料として出しても、そんなにいる訳でなく、処理に困っての事だったのでしょう。









向こうに見えるのは司令部の建物。


この道を挟んで両サイドにガス室があるわけです。


さきほどの森もそうですが、このあたりで順番待ちをしたそうです。


もちろんガス室に入る順番を。。。









ザックリと見ただけですが、半日では時間が足りません。


僕はその様に感じました。


興味のない方には、わざわざこれ見てどうよって思われるかもしれません。











思われたっていいんです。



「命はひとつ」


僕のもみんなのも大切にしなければいけません。