塩風呂具

オフロードバイクがメインです。

ドイツ 収容所

冬服のみでは厳しくなってきた「黄色F改」です。


だって10日間で帰れるはずだったんだもん。


1ヶ月以上が経ってるんですが。。。。。。





そんな数ある休みの日。


ドイツといえば、イモにソーセージにビールにナチスってなもんですわ。


食いもんは制覇したので、残るはナチス的なヤツっていえば




朝の出発の時って、ドライブ気分でウッキウキでした。


でした。



だったんです。








ここアウシュビッツはそんな気分を一瞬で吹き消してくれる場所です。

「働けば自由になれる」と書いた看板の下を何千何万の人々が歩いたのか?

そして何人がこの門をくぐって自由になれたんだろう。。。






高圧電流の流れる有刺鉄線で囲まれた収容所

この厳重な警戒網を抜けるのは安易な事ではないだろう。


今見ても絶望的なこの場所の僕の立つココにも、当時何万もの人が立ちすくんだ事だろう。。。







沢山の収容施設が並んでいる。

なかなかの盛況っぷりで観光客がどこもカシコも列をなしていた。


ちなみに入場料は無料なのかも。


なぜか入れたから。


なんせ僕は外人ですので。






中は当時の写真などの資料が沢山展示してあった。

70年以上も前に作られているので、老朽化が激しかったのか補修した跡が沢山見受けられた。


写真に写る子供達や女性もガリガリにやせて、カメラを向けられても只ただ恐怖しかなかったのだろう。








そして、こうなる。。。


映画などでみたシーンがその時現実に、また日常として行われていたのかと思うと言葉が出ない。


大人も子供も同じなんだろうか???


他の建屋の中でみた写真に、小さな子供を抱いた女性に銃構えてるドイツ兵が映っていた。

女性はその場から逃げるでもなくただ背を丸めて、体をこわばらせている様に見えた。

抱いたその子はまだ乳飲み子くらいなのに。。。


その子を母親はギユッと抱きしめていた。






その後どうなったのかわからないが、ココにある写真で希望の持てるものは一枚もないのだろう。







このように廊下にも沢山の写真が飾られている。

ここで犠牲になった方たちなのだろう。


笑顔は1枚とてない。






彼らの宿舎は3段ベット。

起き上がると上のベットに頭をぶつけるサイズ。


横に転がりつつ降りる感じか?


上で寝返りされたらギーギー言いそうなベットだ。











こちらは宿舎2階のベット。

なぜかレンガ作り。


隣とのプライバシーは守られてる。


でもココに5人ですって。


3段で15人。。。



しかも藁が轢いてあるだけ。










挙句は床に直にワラ。


ここにスシ詰め。


場所ばっかり取ると思うのだが。。。



これではもう人として扱われていません。


動物と同じです。



壁には蹴り倒されている絵が沢山ありました。



当時もこんな感じだったのでしょうか???









ここは洗面所。


天井に何やらが飛び散った跡が今でも残ってます。


なんでもそう見えてしまいます。。。









そして、最も人が集まる所が10号と








11号建屋の間です。


10号建屋には入れませんでした。

しかし、ドアには花束が飾られていました。


当時の彼らは中央の扉から入ることは出来なかったでしょう。

11号から入る事になります。(たぶん。。。)










11号の地下には沢山の小部屋があって、牢屋のようになってました。


独房なのか沢山詰め込んだのか解りませんが。。。


無数にある牢屋のなかには「立ち牢」と言う立ったまま入る牢もありました。


入り口は低く50cmほど。

中は80cm四方ほど。

そこに4人。

寝る事も、座る事も出来ません。


なんの為なのか全く理解できません。。。







こっちは独房なのか沢山入れていたのか???


中々の広さですが、牢屋の作りしてます。









その牢屋の廊下に並ぶとこんな感じ。


見物客で渋滞してました。


みんなどうしても見たいんです。


そこで何があったかを。









その部屋の奥には階段があり、先ほどの10号建屋と11号建屋の間に出る事ができるようになっています。


僕らは通行止めになっているので、来た道を戻ります。












右に階段があってそこから出てくるとこんな場所です。


10号建屋の窓には黒い板で目隠しがしてあります。


奥には1箇所だけ白い壁があります。









そしてここの壁に並ぶんです。


前を向いてか、後ろ向けかはわかりません。


目隠しをされていたのかも知れません。







もしも前を向いていて、目隠しをしていなかったのなら、この景色がこの世ので見た最後の景色となったでしょう。





今でも思い出すと涙が出てきます。

あの子供を抱いた女性の姿がまぶたから離れません。。。