5日目 油断
雑誌とか整理したくてもできない「黄色F改」です。。。
大量にたまりつつある雑誌の数々を紐でくくってサヨウナラしたいのですがね。。。
ついついページをめくってしまう。
すると読んじゃう。
時間が経つ。
やる気なくす。
で、溜まる。
自然の摂理ですな。
明けて8月25日。
シュウが誕生してから5日目の朝がやってきた。
夜中にも嫁にゃんの点滴を交換しに先生がやってきては出血が無いかチェックして、問題は無かったのです。
僕はエクストラベット(二人がけのソファ)で一夜を明かし、体中がパキパキになっているのをこらえつつ、産院が用意してくれた朝食を食べ、またも眠気が襲っていた。
でも、朝からシュウが病室に戻ってきてミルクを飲ませたのだが中々眠りについてくれない。
抱っこしたり、なんだかんだとあの手この手をつくすのだが、寝てくれないしあげくにゃ泣き出してしまった。
オムツも替えてみたが全然効果なし。。。
で、さらに追加のミルク投入で満足したらしく、ようやく眠りについてくれた。
と思ったら、1時間もしないうちにまた泣き出してしまった。。。
さらにミルク投入!
今度コソぐっすりお休みな体制になってくれたようだ。
7時過ぎから格闘し、11時までかかっってしまった。
照明まで消してみた。
ちなみに青く光ってるのは「黄疸」を消す光なのだそうな。
ようやく静かになってウトウトしつつ、お昼の時間に。
さすがに昼に僕の分は無い。
点滴が繋がってるので、食べさせてあげるのだがコレがなかなか難しい。
食べるペースが僕のペースで与えてしまう。
まだ口がモゴモゴしてるのに「はいア~ン」と言いつつ口元に運ぶので、
「はやいねん!」と激が飛んだ。
ほぼ食べ終わる頃、またもミャ~と泣き出してしまった。
いったいこの小さな体のどこに吸収されるのだろう???
朝から飲み続けたミルクは200ccを超えようとしている。
そこに救世主が!
義母上である。
渡りに船とはこの事でして。
ミルクをお任せ!
ゲップ作業もお手のもの。
さすがです。
手馴れた手つきでシュウも安心したのか深い眠りについてくれた。
そして昨日の夕方の出血以来、平気に過ごしているので僕はこの辺で撤収する事に。
帰り道にいつもの粉モン食って眠い目を擦りつつ吹田インターまで下道をひた走る。
近畿道を使えばすぐなのだが、時間に追われている訳ではないのでノンビリ帰る事にした。
車にガスを入れてコンビニでお茶を買い込み準備万端!
さぁ、もうすぐ名神高速吹田インターだ!
ってな所で義母上から電話がかかって来た。
取る前に血の気が引いた。
またも出血し、ベットに横になったまま意識が無くなったそうで、救急車を使って大阪でもかなりの設備と技術のあるデッカイ病院へと搬送されたと言う。
そしてソコで緊急輸血を行うって所まで聞いて、吹田インター手前でUターン!
偶然にも高速は空いていてガンガン飛ばせる!
軽自動車って140キロでリミッターが効くことが判明!
へぇ、そうなんやって今思えば無謀なスピードを出していた。。。
で着いたのが搬送された病院ではなく、元いた産院。
テンパッて産院に来てしまった。
まだ病室にはシュウがいて目を覚ましていた。
シュウの面倒は産院の人が見てくれるそうで、早く搬送先の病院に向かってください!
って言われた。
そりゃそうだ。
今里から搬送先の「愛染橋病院」までは中々の距離です。
ナビに従い、渋滞回避ルートを使って得体の知れないきわどいルートで病院に着いた。
すると、産院の先生と助手の娘さんが心配そうな顔をして出迎えてくれた。
しして義母上は、事の次第を説明してくれた。
ICUにいる嫁にゃんの元へ案内されて治療の方針や輸血の危険性などの説明を受け、同意書にサインしてなんか他の説明もされて・・・
輸血が開始された。
輸血って赤血球のみを集めてあるのね。
先生の説明を聞いて初めて知った。
300ccを3本。
時間にして15時間くらい。
またも管をつけっぱなしになってしまった。
産院の先生と義母上はシュウを産院に引き取りに行ってくれた。
二人になった病室で顔面蒼白になった嫁にゃんを見て涙がこぼれそうになる。
意識が戻った嫁にゃんとちょっと会話をして意識を失ったときの状況を話してくれた。
僕が帰った後に、ベットで横になっているときに出血したそうで、そのまま意識を失ったそうだ。
その意識が薄れていく瞬間はとても長く感じたそうで、
「このままでは死ぬ」
と本気で思ったのだそうだ。
そのときの事を思い出したのか、天井を見つめたまま目から止め処なく溢れる涙。
僕にはその時、涙を拭いてあげることくらいしかできなかった。
元気付けられることでも言ってあげたかったが、僕の声はしわがれて聞き取りづらくなっているだろう。
軽く手を握り、今も生きている喜びを二人で分かち合い、シュウの到着を待っていた。
が、心電計?のモニターがピコピコ鳴り出し、僕はICUから追い出された。
バタバタと慌しく看護士達が部屋に入っては出て行く。
ただ僕は呆然とその光景を見ているだけだった。
そしてシュウが到着し、もういちどICUに入る事ができたのでちょっとだけ話をして
義母上と共に東大阪の自宅へ戻り、
5日目の長い夜を迎えた。