4日目 問題の日
100000番を踏むのはいったい誰なのかが気になる「黄色F改」です!
10月くらいには達成するのかな?
名乗り出てもらえれば・・・
なんかします。
たぶんね。
さて、8月24日の日曜日。
意気揚々と母上が今か遅しと家の前で待機していた。
7時半に出発の約束なのにずいぶん早くから家の鍵までかけて待っていたようだ。
近所のおばちゃんと楽しそうに会話している姿が遠くからでも見えていた。
こんな楽しみな日は最近ではなかったのだろう。
行きの車内でも孫のシュウの話ばかり。
このときはまだ名前が確定していなかったので、どんな漢字にするのか?など等、話題は尽きない。
来年の夏にはどこぞへ連れてって、いやいや、その前にお宮参りがあってやなとか。。。
あれは祖母が抱かなアカンねん!
あれもいるなぁ。これもいるなぁ。。。
と、ずっとしゃべっていた。
なんせ、我が一族の跡取りですから。
期待も大きいのですよ。
更には一月もすれば独り占めも可能な環境も整いつつある。
相当な期待を込めて大阪は今里の産院に10時着の予定が9時半についてしまったのです。
もちろん早く着いても特別に面会できるように取り計らってもらっていて
母上が初抱っこしたのには、ココ最近では見かけない母上の笑顔だった。
苦節幾十年。
近所の家庭では孫が誕生し、うちにはまだか!まだかと言われ夢にまで見た孫を抱く母上の目にも熱いものが込み上げていた。
全く泣かずにご機嫌で母上に抱かれる姿を見て二人でホッとした。
泣かれたら気分悪いでしょ。。。
気を使うのですよ。
ちょっとでもいい気分でいて欲しいからね。
まるで大人級のあくびをブチかましてお休みタイムへと。。。
この隙に母上と昼ごはんでも食べに行こうってな事になりましてな。
「チビ中心」なネタを携帯でポチポチ執筆しておったのです。
鶴橋でキムチやらチヂミやら、なんか辛いものばかり食べてクチがくっさい事になりつつも、
鶴橋の商店街をブラブラ。
どこもかしこもキムチの匂いが立ち込めて、僕らの匂いなんて全くわからないほどだ。
大阪にいながら韓国旅行気分にさせてくれる町である。
散々食って、アレはうまかった、今度はあんなの食いたいなどと次に来たときのプランを立てつつ産院へ戻って孫をまたも抱く母上。
寝ててもお構いなしである。
とここで、本来1時からしか面会ができないのに早く来たのは嫁にゃんと一緒に沐浴させる為だったのだが、夜中に嫁にゃんが出血していたらしく急遽中止になっていたのだ。
その時の状況などを話しながら、嫁にゃんは昼食を終えトイレに行こうと立ち上がった。
するとまたも出血していることに僕が気づいた。
「あ、ほんまや」と嫁にゃんが言ったのとほぼ同時に意識がなくなりその場に崩れ落ちる寸前に抱えることができて、そのままベットに寝かせた。
するとすぐに目をさまして
「わぁ、立ちくらみしたわぁ」と言って驚いていた。
僕も驚いたが、その「立ちくらみ」に何の疑いも無かった。
しかし、産院の先生は異変に気づいていたようで、もっと大きな病院の診察の手配を始めた。
そこへ、嫁にゃん実家家族も登場し、一気に人口密度があがりその隙に帰っちゃおうか作戦を実行するはずだった。
でも、どうも産院の様子がおかしいので母上が僕に残れと言ってきた。
だいぶん落ち着いてきたので、母上は電車で撤収し、嫁にゃん実家御一行も撤収していった。
そこで「トイレに行きたい」と言うので、先生が介添えしながらトイレに向かってすぐに悲鳴にも似た先生の
「ご主人!助けて!おくさ~ん!おくさ~ん!しっかりして~」と叫ぶ声が院内に響いた。
ダッシュで駆け寄って様子を見ると、完全に目がどこか遠くへ逝ってしまっていた。
抱えるようにベットまで運んで横にしたら、脳に血が回ってきたのか意識が戻って事なきを得たのです。
翌日は仕事で今休むのは非常に危険極まりないとか言ってる場合じゃなくなってきた。
このまま残ることに。
そしてその後大きな病院に移動し、「子宮にもどこにも損傷は無く処置に手抜かりは無い」と診断された。
さらには「出血の原因はわからない。血圧もちょっと低いが安定してるし、赤血球の数も少ないけど問題の無いレベル」だと。
産院に戻って点滴を24時間。
僕はF1中継をガッツリ見ている横でスヤスヤ寝ている嫁にゃんを見ながら、この日一日の悪夢のような出来事を思い出し、
背筋が凍るような結末を想像して、中々眠りにつけなかった長い夜でした。
次の日はもっと長かったけど。。。
あ、ちなみにこの夜のシュウは先生が面倒見てくれました。
僕では泣き止む事がなかったのに、先生が1分ほど耳元で囁いたらスヤスヤ寝てしまった。。。
さすがです!