仕事のついでに
らっきょうを食べだすと止まらない「黄色F改」です。
らっきょ・・・か?
最後の「う」は要るのかな?
まぁいいや。
味がたまらん好きってほどじゃないのだが、あのコリコリカリカリ感がたまらんのです。
まぁ、そんなことはどうでもいいのです。
暮れも押し迫った27日のこの日は
やっぱ軍港だけあって自衛隊の物騒な船がいっぱいいてはります。
しかもいつもより多いような気がするのは気のせいだろうか?
でも、舞鶴はただの通過点なので、車を運転しつつ目指すは「間人」(たいざ)です。
丹後半島ってなところです。
そして、ここではまじめに仕事をこなし、次は峰山って所に寄り道です。
ちゅっか、すでに仕事は終了なのであとは帰るだけなんだけどね。
で、僕の本当の目的地はココだったのです。
コレなんだと思う?
ちゅっかさ、簡単すぎるね!
そうお察しの通り弾薬庫です!
って判らんわな。。。
ココは飛行場跡なんですわ。
しかし、62年もの年月が経っているのに、ちゃんと弾痕が残ってますよ。
中はレンガで組まれてて外はコンクリートでコーティングされたこの様式がなんとも言えない雰囲気をかもし出しているのです。
これを見ながら飯が食える勢いですよ!
ほんで、格納庫とかもあったなぁって思ったのだが、その手前の
燃料庫に立ち寄り、なにげに見学させていただく事に!
でもね、コレって個人の所有物っぽいので敷地には入らないようにしないと、あとで何を言われるかわからんです。
せちがない世の中になったもんですわ。。。
でもね、
このおじいちゃんが近くで作業していたので、当時のお話を聞いてみた。
そしたらね、当時15歳のときに学徒としてこの飛行場で従事していたそうです。
夏のまっさかりに空襲があって、そのときに飛来したグラマンの機銃弾が壁に穴を開け、小さめの爆弾がこの燃料庫に当たって爆発炎上したそうです。
この空襲で鉄製(って表現してたので)の飛行機は全滅したらしい。
そして2度目の空襲で布製の飛行機にも被害がでたらしい。
93式練習機(愛称:赤とんぼ)で特攻の訓練やテストをしていたのです。
このおじいちゃん曰く、
「デカイ爆弾をお腹にくくりつけて滑走路を走って行って、重そうになんとか滑走路ギリギリで浮いたかと思うと、そのまま田んぼや森に突っ込んで行くのを、ワシだけでも5機は見たぞ!」
なんだって。
複葉機で、スピードも出ないし昼間の特攻作戦ではお話にならんのです。
で夜間に飛ばしてなんとかやっつけたいと猛練習に励んでいる先輩たちを見つつ、次は自分の番だと思っていたらしいが、
残念なことに、乗るべき飛行機がすでに無く、そのまま終戦を迎えたそうです。
そして、その後の話は政治の話に息子が豊田市に出て行って帰ってこないとかの愚痴を聞き続けましてな、
気がつきゃ、1時間以上も愚痴を聞き続けてですな、
ようやく開放されたわけですわ。。。
ここに書いた話ってほんの一部なんですよ。
ほんとうは、戦時中の話だけでも1時間半はあったんだから。
いやぁ、久々に貴重な生の話を聞けて満足な1日でした。