落ち着いて話しが出来るようになってきた「黄色F改」です。
2018/5/7 彦根駅まで嫁に送ってもらい関空へ向かった。
彦根駅へ向かう車内で、嫁の胃の不調が治らず病院へ行くと言っていた。
嫁は今年で37歳。その歳にもなると前の日に食べた物がなかなか消化できないよね。
あれほど食べれた焼肉があまり進まず、晩御飯は何がいい?と聞かれたら、魚を熱望するようになってきてる。
今から行くアメリカでジャンクな食べ物で胃もたれと戦いつつ、やめられないあの味と葛藤するのだが。。。
とか言いながら、関空のサクララウンジでカレーを腹いっぱい食わねばならない。
おっさんはこれが楽しみなのよ。
出国審査を通過してモノレールに乗る。
その時、嫁から電話がかかってきた。
忘れ物でもしたかな?なんて思いつつ電話を取った。
内容は胃の不調の件だった。
駅まで送ったあと、近所の掛かりつけの内科に行ったそう。
症状を伝えて診察してもらったら、腹が張ってるのでエコーを撮ったらしい。
エコーで見る限り何かが映っているそうで、総合病院へ検査に今すぐGOだと言われてCTを撮り結果を聴いて、今はその病院から電話していると。
電話の向こうの声は震えて息も荒いように感じた。
お腹に水が溜まり胃を圧迫している。
それにより食欲不振が起こっていると。
それは腹水と言うらしい。
では、その腹水が溜まる原因は、腹膜に腫瘍があるからだと。
その腫瘍とは「癌」であると。
そんな報告を関空のモノレールからテケテケ歩いて搭乗ゲートにある椅子に座って聞いた。
後半の説明はあんま覚えてないけど。
あと2時間ほどでフライトなので、マッハで関係各者に連絡を入れフライトを中止する事に。
いっしょに渡米するワカゾーにも事の次第を説明し見送ってもらった。
JALのカウンターにフライトの取りやめをお願いしにいくと、その理由を教えて欲しいと聞かれ、家族が病気と答えるともう少し詳しくと言われ、妻に癌が見つかり、、、
こんなトコまで言わせるのか?と思ったが、世の中には色んな人がいるからなんだろうと。。。
カウンターの中はさぁ大変。
内容が重いだけに対応が急変して至れり尽くせり。
まぁ、落ち着いて椅子に座れだなんだと。
そして出国中止のハンコをもらい、スーツケースを待つ。
数百あるスーツケースから僕の1個を見つけ出すのに30分くらい。
関わってくれたスタッフの方々はみんな理由を知ってたみたいで、気を使ってくれる。
個人的な内容なんだけどなぁって思いつつ、ありがたい対応に感謝しかなかった。
関空から京都までJRの「はるか」に乗り京都から米原まで新幹線で20分。
全行程2時間ほど。
その間に、癌、腹水で検索しまくる。
調べれば調べるほど希望の光が見えなくなってくる。
癌→腹水→緩和ケアになり、穏やかな日々を過ごせるようにするためには?みたいな内容になる。
清い終わり方ばかり。
そして、検索結果などに漢方薬の広告が目立つように。
さらには、どこぞのクリニックの広告も。
体にいいのか僕にはわからない。
だけど酷くないか?癌患者からむしり取る気マンマンの広告の数々。
怪しすぎるよ。
闘病記などを読むと、数年で終わりの告知にたどり着く。
電車の窓の外を流れるように変わる景色を見ながらこれからの事を考える。
入院、抗がん剤、副作用、子どもたち、お義母さん
そして、余命。
僕は年中ネガティブなので、悪い事しか考えない。
最悪を想定しておけば、ほんの少しの良いことが凄く良い事のように感じるから。
色んな事を考えながら、米原駅についた。
嫁と子どもたちが迎えに来てくれてる。
今朝見送ってくれた時とあまり変わらないけど、お腹の中には癌細胞が今も分裂して増殖している。
でも僕にはどうする事も出来ない。
駅からの帰りにスーパーに寄った。
なんとも思わなかったスーパーでの買い物が今は貴重な時間のように感じた。
買い物を済ませ家についた。
いつものように晩御飯を家族みんなで食べる。
そして風呂に入り、布団の中へ。
無邪気にはしゃぐ子ども達の姿と嫁を思うと、その日は眠る事が出来なかった。
2018/5/7 彦根駅まで嫁に送ってもらい関空へ向かった。
彦根駅へ向かう車内で、嫁の胃の不調が治らず病院へ行くと言っていた。
嫁は今年で37歳。その歳にもなると前の日に食べた物がなかなか消化できないよね。
あれほど食べれた焼肉があまり進まず、晩御飯は何がいい?と聞かれたら、魚を熱望するようになってきてる。
今から行くアメリカでジャンクな食べ物で胃もたれと戦いつつ、やめられないあの味と葛藤するのだが。。。
とか言いながら、関空のサクララウンジでカレーを腹いっぱい食わねばならない。
おっさんはこれが楽しみなのよ。
出国審査を通過してモノレールに乗る。
その時、嫁から電話がかかってきた。
忘れ物でもしたかな?なんて思いつつ電話を取った。
内容は胃の不調の件だった。
駅まで送ったあと、近所の掛かりつけの内科に行ったそう。
症状を伝えて診察してもらったら、腹が張ってるのでエコーを撮ったらしい。
エコーで見る限り何かが映っているそうで、総合病院へ検査に今すぐGOだと言われてCTを撮り結果を聴いて、今はその病院から電話していると。
電話の向こうの声は震えて息も荒いように感じた。
お腹に水が溜まり胃を圧迫している。
それにより食欲不振が起こっていると。
それは腹水と言うらしい。
では、その腹水が溜まる原因は、腹膜に腫瘍があるからだと。
その腫瘍とは「癌」であると。
そんな報告を関空のモノレールからテケテケ歩いて搭乗ゲートにある椅子に座って聞いた。
後半の説明はあんま覚えてないけど。
あと2時間ほどでフライトなので、マッハで関係各者に連絡を入れフライトを中止する事に。
いっしょに渡米するワカゾーにも事の次第を説明し見送ってもらった。
JALのカウンターにフライトの取りやめをお願いしにいくと、その理由を教えて欲しいと聞かれ、家族が病気と答えるともう少し詳しくと言われ、妻に癌が見つかり、、、
こんなトコまで言わせるのか?と思ったが、世の中には色んな人がいるからなんだろうと。。。
カウンターの中はさぁ大変。
内容が重いだけに対応が急変して至れり尽くせり。
まぁ、落ち着いて椅子に座れだなんだと。
そして出国中止のハンコをもらい、スーツケースを待つ。
数百あるスーツケースから僕の1個を見つけ出すのに30分くらい。
関わってくれたスタッフの方々はみんな理由を知ってたみたいで、気を使ってくれる。
個人的な内容なんだけどなぁって思いつつ、ありがたい対応に感謝しかなかった。
関空から京都までJRの「はるか」に乗り京都から米原まで新幹線で20分。
全行程2時間ほど。
その間に、癌、腹水で検索しまくる。
調べれば調べるほど希望の光が見えなくなってくる。
癌→腹水→緩和ケアになり、穏やかな日々を過ごせるようにするためには?みたいな内容になる。
清い終わり方ばかり。
そして、検索結果などに漢方薬の広告が目立つように。
さらには、どこぞのクリニックの広告も。
体にいいのか僕にはわからない。
だけど酷くないか?癌患者からむしり取る気マンマンの広告の数々。
怪しすぎるよ。
闘病記などを読むと、数年で終わりの告知にたどり着く。
電車の窓の外を流れるように変わる景色を見ながらこれからの事を考える。
入院、抗がん剤、副作用、子どもたち、お義母さん
そして、余命。
僕は年中ネガティブなので、悪い事しか考えない。
最悪を想定しておけば、ほんの少しの良いことが凄く良い事のように感じるから。
色んな事を考えながら、米原駅についた。
嫁と子どもたちが迎えに来てくれてる。
今朝見送ってくれた時とあまり変わらないけど、お腹の中には癌細胞が今も分裂して増殖している。
でも僕にはどうする事も出来ない。
駅からの帰りにスーパーに寄った。
なんとも思わなかったスーパーでの買い物が今は貴重な時間のように感じた。
買い物を済ませ家についた。
いつものように晩御飯を家族みんなで食べる。
そして風呂に入り、布団の中へ。
無邪気にはしゃぐ子ども達の姿と嫁を思うと、その日は眠る事が出来なかった。